#2 合奏2/19 と曲目解説
- ladorchestra
- 2023年2月23日
- 読了時間: 2分
更新日:2023年2月24日
この日は杉並区の久我山会館にてチャイコフスキーの交響曲第5番の第2楽章の練習をしました。
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840~1893)
アマチュアオーケストラに携わる人々が一度は通る道と言っても過言ではないこの作曲家の魅力とは一体何なのでしょうか。
本日のブログでは、いつもの和気藹々とした雰囲気と少し趣向を変えて、駄文ながら歴史的な背景から紐解いていきましょう。
チャイコフスキーは1840年5月7日(当時のロシアで用いられていたユリウス暦では4月25日)にロシア西部のヴォトキンスクという工業都市で生まれました。

幼少期からピアノを習うなど、音楽に触れてはいましたが、1850年からサンクトペテルブルクの法律学校に入学し、約10年の歳月を過ごします。

このころのロシアといえば、1853年に始まったクリミア戦争に敗れ、当時の皇帝アレクサンドル2世(在位1855~1881)がロシアの後進性を憂い、様々な改革に着手した時期にあたります。

アレクサンドル2世は、1861年に農奴解放令を発したことがよく知られていますが、当時のロシアに西欧の資本主義の要素を取り入れたことでも知られています。

これによって当時のロシアに西欧の文化が流入し、都市では教養をもった富裕な人々が集まりました。そこでは、革命的な議論が交わされることもあれば、ロシアの民族主義的な文化を尊重するか、それとも西欧の文化を積極的に取り入れていくかという議論もあったでしょう。
このような時代にあってチャイコフスキーはどちらかと言えば後者…すなわち西欧の文化を積極的に取り入れた方に近いかもしれません。

今回私たちが演奏する交響曲第5番全楽章を通して共通する「運命の主題」と呼ばれるモチーフは、ベルリオーズなどに代表される「固定楽想」の影響を感じられる一方で、ロシア音楽特有の「歌」が魅力的です。

これは、当時のロシアにあったロシア民族主義的な文化と西欧の文化との融合を果たした結果かもしれません。
長くなりましたが、その曲を演奏するにあたり、その作曲家が生きた時代背景を知ることで、より深く知ることができます。またこのブログを書く機会があれば、次はまた異なった視点でチャイコフスキーの魅力を分析できればと思います。
それではまたお会いしましょう。
参考文献
・森垣桂一(2010)『チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調 作品64』(音楽之友社)
・内藤博文(2022)『世界史で深まるクラシックの名曲』(青春出版社)
・森田稔(1986)『チャイコフスキイ カラー版作曲家の生涯』(新潮文庫)
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